<南風>フェンスの向こうに


社会
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 10年以上も前のことだけど、カフェで舞台の打ち合わせ中に屈強な黒人兵にナンパをされた。隙をついて声をかけられ、動揺して名刺を渡してしまった。そのあと彼からメールが届き、何度か他愛もないやりとりをした。趣味は何? 私はジョギングをするよ。僕もだ、今度一緒に走ろうよ。最近は涼しいね。

 特に盛り場のようなところに出向かなくても、米兵と出会うことはある。軍用機は時間を選ばず低く飛び、道の両側にフェンスが長く続く場所があって私達は入れない。米軍基地は暮らしの隣にずっとある。

 4年前から、大学で基地問題も含めた平和教育の授業をしている。沖縄でおこなわれている平和教育の多くは沖縄戦に終始し、米軍基地については触れない。現在の政治課題に直結するということや、子どものなかに当事者や利害関係者がいる気まずさなど、理由はいくつかあるだろう。でも、語りにくくても避けてはいけないと思う。軍事基地は平和と切り離せない。

 「語りにくさ」を越えるために、1930年生まれの女性の人生を演じるという取り組みをしている。それは他の誰かとして「語る」ことでもある。女性の九つの年齢を設定し、グループごとにその年齢の1分間をドラマにして発表する。私達は演じながら、見ながら、今は90歳近い一人の女性の人生を体験する。もし自分が彼女なら、と考えて過ごすという宿題も出す。学生は「初めてオスプレイの音をうるさいと感じた」「ヘリが怖いと思ったことは今までなかった」と感想を書く。「基地のない沖縄を想像したことが一度もないことに気づきました」と書いた学生もいた。

 あのときの米兵から来た最後のメールは、「明日、イラクに行きます」だった。彼は死ぬかもしれないし殺すかもしれないのだ、と突然知って、少し泣いた。
(上田真弓、俳優、演出家)