<南風>言い換える力


社会
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 生徒や保護者から「国語はどうやって勉強すればよいでしょうか」という質問を多く受ける。この問いに答えるためには、「そもそも国語の力とは何か」を定義する必要がある。多様な意見があるだろうが、私は「国語の力=説明する力」であると考える。では、説明とは何か。それは“言い換える力”のことである。

 話を聞くとき、あるいは文章を読むとき、私たちは“わからない”箇所(かしょ)に出くわす。そのとき、きっと「説明してほしい」と思うだろう。そしてそれは「私に理解できる表現・内容・思想に言い換えてほしい」という願いであるはずだ。

 だから問われた側は、異なる言葉・別な例え・新しいアプローチで同じ内容を表そうと努力する。すなわち“言い換える”のだ。

 面白い文章や楽しい話には、巧みな言い換えが使われることが多い。“あるある”と頷(うなず)く具体例もあれば、意外な角度からの比喩もあるだろう。受け取る側は“わからない”が解消される心地よさを感じるとともに、より深い理解に導かれる喜びを覚える。

 冒頭の質問に戻ろう。国語の勉強法は「言い換える力を磨く」こと。語彙(ごい)・体験・思想を蓄え、わかりやすく、理解しやすい内容に“言い換える”術(すべ)を身に付けること。これに尽きる。

 そもそも、小学生のドリルから、大学入試に至るまで、国語が問い続ける質問は「説明せよ」の一つだけ。それができる人こそ、理解力・表現力があるのだ…。

 …と、ここまで書いてふと筆が止まった。

 連日メディアが報道する「桜を見る会」を巡る政治家や官僚の“説明する力”はどうだろうか。何とお粗末な受け答えだと苦笑するのは、決して私だけではあるまい。子どもたちの手本となるためにも、誠実でわかりやすい“言い換え”を強く望む。
(砂川亨、昭和薬科大学附属中・高校教諭)