<南風>氷河の流れのように


社会
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 第1回沖縄平和賞を受賞したアフガニスタンを中心に復興支援を続けるペシャワール会現地代表の中村哲医師が凶弾に倒れて亡くなった。

 2002年8月の授賞式には私も臨席させていただいた。飄々(ひょうひょう)とした風貌の中に淡々と受賞への謝意と平和への希望と情熱と今後の活動について語る姿は今も目に浮かぶ。

 受賞の翌年からは本格的な水利事業に取り組んできた。アフガンの人々を根底から苦しめてきたのは内戦やイスラム問題ではなく、気候変動に伴う水の欠乏だからだ。治安の悪化や、電力事情から日本のような公共工事は絶望的。自分達でやるしかないと河川造り素人の挑戦が始まったのだ。参考にしたのは江戸時代に築かれた「石張り式斜め堰(せき)」。河川の氾濫を防止し平野部の農地開拓を支えた工法だ。現地に豊富にある「石」を使い、現地の人と「一緒」に考え行動し、使い慣れた「用具」で造り始めた。共に支援に取り組んだ伊藤和也さんが死亡する悲しい事件もあった。それでも一人残り活動を続けた。そして地元自らによる維持管理のために用水路のそばに村もつくった。

 干ばつによる飢えで土地を離れ難民となっていた人々も次々と帰ってきた。事業開始以来、9カ所の堰(せき)と計35キロメートルを超える幹線水路が造られ、1万6千ヘクタール、60万人分の安定灌漑(かんがい)を達成したのだ。

 中村医師は、自分たちの活動を次のように語る。「我々の歩みが人々と共にある『氷河の流れ』であることを、あえて願うものである。我々はあらゆる立場を超えて存在する人間の良心を集めて氷河となし、騒々しく現れては地表に消える小川を尻目に、確実に困難を打ち砕き、かつ何かを築いてゆく者でありたいと、心底願っている」と。氏への平和賞授賞を誇りとしたい。
(稲嶺有晃、サン・エージェンシー取締役会長)