<南風>八重山伝統芸能と首里城


社会
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 八重山の伝統歌謡は、無伴奏で歌われるユンタ、ジラバ、アヨーなどの《古謡》と、三線の伝来に伴って誕生した《三線歌=節歌》に大別されます。古謡は節歌の母体であり、両者は伝統歌謡の発展過程における形態を異にする歌謡で、類縁関係にあります。

 古謡が生まれたころの八重山は、農耕社会であり台風や旱魃(かんばつ)が容赦なく農作物を襲い、農民を窮地に追いこみます。当時の人々は、自然の猛威を荒ぶる神々の仕業だと観念し、その怒りを鎮め歓心を得るため御嶽信仰の場で、種々の歌や踊りを神々に捧げます。《奉納芸》の誕生です。

 時代を経て、自然の襲撃に加え人頭税などの人為的な苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)がのしかかってきます。その典型的な仕打ちが、〈崎山節〉や〈ちぅんだら節〉などにつづられている首里王府の断行した強制移住策です。だが、したたかな民衆は権力の抑圧を面従腹背でかわし、信仰にかこつけて四季折々に多彩な祭りを催し、上質の《祭り芸》を創出します。その上で、神々や権力から解放された《舞台芸》を仕組み磨き上げてきたのです。

 以上のように、八重山の伝統的な歌舞の本質は、厳しい自然環境と過酷な社会環境の中でたくましく生き抜いてきた庶民の喜怒哀楽の表白であり、血と汗と涙と愛の結晶であり、民衆の魂の叫びが幾星霜を経て洗練・昇華され《古典芸能》に定着したものです。

 ところで、焼失した首里城の復元が叫ばれていますが、かつての首里城は権力の象徴であり民衆の抑圧機関であったことにも思いをめぐらせ、歴史の表裏を正しく照射する再建を図るべきだと考えます。虚言を弄し県民の声を無視し続ける現政権におもねることなく、あくまで県民主体の復元を提唱する所以です。

 結びに、皆様のご愛読に感謝申し上げ、よいお年をお迎え下さるよう祈ります。
(當山善堂、八重山伝統歌謡研究家)