<南風>時間と距離とを


社会
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 モロッコで、サハラ砂漠の旅のベースの村に行くためバスに乗った。大きく揺れながら細い道を進む。一時間ほどして、見渡す限り何にもないところで前触れもなくバスが停まり、痩せたおじいさんが一人降りた。え、ここで?と隣のアリソンとくすくす笑った。

 砂漠では、テントで寝て、起きたら駱駝(らくだ)に乗って移動し、ご飯を食べ、ときどき歌い、言葉が通じないベルベル人のガイドの青年とは、話すことをオウム返ししてただ笑う。そういう10日間を過ごしたあと、またバスに乗り、アトラス山脈を越えて街に帰る。

 山を進むと、刻々空気の水分量が増えるのがわかる。植物も増える。色は、水を含んで光るのだと知った。

 バスで、足を掬(すく)われるような感覚に襲われた。進む速さが不安で怖い。たった10日間駱駝のスピードで過ごしたら、車が移動する速さは異物になっていた。

 人間の身体は繊細だ。

 古典女踊りの「諸屯(しゅどぅん)」に、「三角目付(さんかくみじぃち)」という振りがある。首だけで、上から下、左上、右上、とゆっくり見遣り、最後にまっすぐ前を見る。もう会えない愛しい人の夢を見て、前を向く動きで目を覚ます。私は、夢を見る女性の家を空高くから見て、ぐんぐん上り、それからぎゅいんと青と緑の星に急接近し、かたんと前を向く所作の瞬間、地上に降り立つ。踊りながらその映像を見る。素人解釈だけど、目線の先は宇宙の遠くにつながっている。

 時間も距離も動かせない。それでも強く思うことで、いながらにして世界につながることができる。眼差し一つで宇宙にも行く。人間の身体は繊細で大胆だ。想像すればどこにでも行ける、何にでもなれる演劇の力を信じている。

 地平線でバスを降りた老人は、まっすぐに歩いて行った。そのさきにどんな家があるのかを、不意に思うことがある。
(上田真弓、俳優、演出家)