空港搭乗口。遠くからじっと私を見つめる人が…。
「おー、亨さんじゃないか! 久しぶりだねえ」
元同僚…と呼ぶには畏れ多い先輩教師である。この人に憧(あこが)れ、半(なか)ば真似事のように表現活動を始めた。本を上梓(じょうし)した際には快く書評も書いてくださった。
「新聞の連載、読ませてもらってるよ。毎回楽しみにしてるさぁ」
泣きそうになる。本当に嬉(うれ)しい。彼はいつも私を褒める。その言葉に励まされ、勇気づけられ、私は表現の道を少しずつ拓(ひら)いた。
振り返れば、『南風』の連載開始と同時に、多くの方から応援の声を頂いた。
生徒や卒業生、保護者の方々。同僚や仕事の仲間。
「読んでいるよ」「いつも楽しみにしてます」
わざわざ職場に電話を掛けてくださる方もいた。
「特に用はないけどね…新聞、見てるよ」。ぶっきらぼうな声がむしろ温かい。若い頃にお世話になった元校長からは、丁寧な感想やご意見まで頂けた。メールや投書を通じて応援をくださる方もいたと聞く。ただただ恐縮するばかりだ。
今ならわかる。人は褒められて育つのだ。もちろん厳しい指摘、叱責(しっせき)も鍛える手段ではあろう。しかし、褒め言葉の中にひっそりと息づく共感への志向は、その人の心根の豊かさを感じさせてくれる。良い点を見出そうと心を配る姿に、人としての品格を見る。
私の拙文を褒めてくださった方々へ。本当にありがとう!中年の私でさえ、褒められるとこんなにもうれしい。励みになり、誇りとなる。それが子どもならば尚更だ。大人はまずは互いを、そして若者をたくさん褒めて育てようではないか。『南風』を卒業する私から皆さんへの提案としたい。
ちなみに私の心に最も深く染みたのは、記事に目を留めたまま「亨らしい、良い文章だ」と呟(つぶや)いた、父からの褒め言葉である。
(砂川亨、昭和薬科大学附属中・高校教諭)