<南風>とーとぅい(尊い)


社会
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 明治生まれの祖母は、祝いの座でオトーリの酒が回ってきた時など、必ずコップを軽く上にあげ「とーとぅい」と言ってから口にした。

 「とーとぅい」(とーとぅとも言う)とは、尊いの意で、祈りの言葉である。仏壇などに手を合わせる時も、とーとぅいと手を合わせる。小さい子には、「ほら、とーとぅいと手を合わせなさい」と促したりする。子どもも慣れたもので「とーとぅ」と手を合わせる。(沖縄本島などでは、うーとーとーだろうか)

 お酒と言えば、昔は神様にお供えをし、祈りをささげてから頂くものだったという。私がうっすら覚えているのは、(たぶん4~5歳の頃)家でンキ(神酒)を造り、一升瓶に入れ御嶽に持って行ったことだ。それは米で造ったもので白く濁り、醗酵し酸味と甘みがあった。後で知ったことだが、御嶽に行ったのは

 「粟(あー)ぷーず」(粟収穫の祝い)の時だったようだ。(当時=1960年代=は、粟ではなく米でンキを造っていた。残念ながら、現在、うちの集落では途絶えている祭祀(さいし)だ)

「酒は、本来、祝祭事などを終えたのちの『なおらい(直会)』で『(神の供薦の)お下がり物』として、参加者全員が、敬虔(けいけん)な祈りを込めていただく神聖な飲み物だった」と新里博氏(『宮古古諺音義』著者)は書いている。祖母の時代は、まさにそうだったろうと思う。

 お酒は神への感謝をささげてから口にしていた。また、新里氏は、現在祝い座などで唱和される「かんぱい!」のことばも宮古では古来「とーとぅい」という祈りの言葉であったとも書いている。それを知って以来、とーとぅいと口にするようになった。

 今年も残りわずか。執筆も最後となった。来年は、佳(よ)きことの多い一年でありますように。とーとぅい!
(松谷初美、宮古島市文化協会事務局長)