明治維新、日本には見るべき資源はないに等しかった。しかし柔道の精神、相手の力を利用して技をかける極意により、欧米の知識や技術を使って、植民地化されず、侵略を食い止め、日本であり続けた。
「島」には原料も資源もなかった。しかし「ない」ということで終わればそれで終りだ。「ない」に挑戦する必要がある。
地元に「鉄」がない。60年前の沖縄の住宅はほとんど全てが木造であった。台風が来るたびに木造の建物は破壊され、その修理のために木材が必要となる。山林資源の乏しい沖縄では本土から移入する。木材商は、そうして商売は成り立ったが、沖縄の人々は毎年損をするだけで貧しくなるばかりだ。しかし沖縄には「何もない」と諦めてはそれで終りである。
「ない」ではなく「ある」という発想が大切だ。その創業者は、沖縄には、台風で壊れない建物の需要は無限に「ある」のではないか。鉄筋コンクリートの建物の必要性が「ある」、それが地域の産業の使命だと考えた。
その考えを実行し、鉄鉱石もない沖縄で製鉄業(電炉)を起こし、今や全国の1%超のシェア、本土の電炉メーカーと遜色のない財務内容と企業にまで成長させた。そして沖縄の建物は90%以上が鉄筋コンクリートとなって、台風の被害は著しく減少した。
結局、この創業者は資源の乏しい沖縄でも真の資源は「ある」、やらねばならない企業の使命が「ある」と考えた。「ない」で済ませばそれから先は何もなかったかもしれない。「ある」と判断し、それに挑戦した。
アナログからデジタルへ、情報技術の発達はめまぐるしく、全ては新しいものへ転換している。しかし、「ない」ではなくて、「ある」の発想、それが企業家の勇気と使命であり、真のイノベーションを起こすものではないだろうか。
(山内眞樹、公認会計士)