<南風>19世紀の沖縄土産


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 「空のかすかな黄色のきらめきが、まぶしい光の洪水に変わり、朝靄によって土地の輪郭が柔らかくなりました。それは美しい朝でした。まるで夢のように暖かく、太陽に照らされていました」。1898年に沖縄を訪れたイギリス人冒険家クラッターバックが那覇港に入港する際の様子だ。彼の眼に映ったのは絵に描かれたような船やさとうきび畑、松の木の濃い青、白く巨大なお墓などだった。

 港では多くの地元住民に囲まれ「青い刺青の手で荷物を頭上に載せ、素晴らしく楽しく速足で歩く女性」や「忙しく働く日焼けした男たち」に出会った。彼らは約2カ月間、沖縄に滞在したのち母国へのお土産には「世界の他の地域では見られない興味深いさまざまなコレクション」を持ち帰っている。長い船旅でも壊れないように頑丈な外箱で梱包して大切に持ち帰った。実は、これらのお土産品が写真に残されている。どれも「沖縄らしい」ものばかりである。やっぱりいつの時代も「ローカルはグローバル」なのである。

 また彼らよりも16年早く1882年に沖縄を訪れたイギリス人の学者にギルマールがいる。彼は那覇港の様子を「港はリーフが発達していて珊瑚がとても美しい反面、船の動きが制約されるにもかかわらず、港はにぎわい、船が往来している」と述べている。街の美しさや生い茂る木々の隙間から見える赤瓦の屋根を見て「日本であって日本ではない独特の特徴」がある景観だと感じていたようだ。彼らも「この辺りの島々ではとても珍しく、その美しさから非常に価値がある」と沖縄の特産品お土産として持ち帰った。

 19世紀、アジアを中心に世界各地を冒険した彼らの紀行文は当時の沖縄の様子を伝える貴重な資料である。さてさて、そんな彼らが沖縄のお土産として持ち帰ったものとは?

(外間一先、県立博物館・美術館主任学芸員)