<南風>使い込み、横領(その一)


社会
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 父は、日本軍の自動車部隊で将校の運転手をしていた。終戦後、京都で修理工場を始めた。父の会社の岡田さんという経理部長は旧制商業中退で、公認会計士試験の勉強をしていた。公認会計士という仕事を知ったのは彼からであった。

 ちょうど大学受験の頃、岡田さんが使い込みをしたが父は許した。父は小学校2年中退で、岡田さんの知識や経験に依存するところが多かったようだ。母が知り合いから入学金を借りて来て大学へは入学できた。

 卒業後、東京の小さな雑誌社へ入社して1年足らずの頃、母から電話があって、岡田さんが、また使い込みをして会社がつぶれそうだとの連絡があった。京都に帰って、父と相談して、会社は、何としても続けようということになった。それから4年ばかり、借金の処理を中心に会社を手伝った。これは「使い込み」のせいだという思いが強く、仕事の合間に公認会計士試験を受験した。

 二次試験に合格し、京都の監査法人トーマツに入って、最初の仕事が再建のために裁判所へ申し立てされた和議の財務調査の補助だった。倒産した会社の社長は頭のいい人であったが、何となく問題を感じた。会社の2階で帳簿の監査をしていると、駐車場で書類をしきりに焼いている。「何をしているのですか?」と聞くと、「いらないものを燃やしている」と言うので、私は、テーブルを持って出て焼く前の書類を見て報告書を作った。見終わると、社長は書類をドラム缶に放り込む。時間外も含めて、金融機関や取引先など、あちこち歩いて報告書を提出した。報告書を見た裁判所の管財人が、借金の証拠を隠そうと焼却するとは悪質で許しがたいと、刑事事件になってしまった。

 父の会社の使い込みから始まって、不正を見つけるのは会計士というのが仕事のすべり出しとなった。
(山内眞樹、公認会計士)