<南風>沖縄アーカイブ


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 海岸線は埋め立てられ形は変わっているが、山影が重なることからこの場所は金武町伊芸と思われる。稲の脱穀作業に人々が勤しむのは田んぼのそばではなく白い砂浜。続く映像には金武観音寺の様子も。1970年代に撮られた8ミリフィルムに映る場所を特定するため、地域の古老に見てもらった。「ギンセーさんだよ!間違いない」。

 沖縄テレビでは、沖縄アーカイブ研究所と共に3年前から家庭で眠る8ミリフィルムの映像をさまざまなテーマで紹介しています。

 若狭で行われた戦後初の那覇大綱挽、ニシムイ美術村、玉陵の復元作業など50年代から70年代にかけての貴重なカラー映像の数々。それだけではありません。ローラースケートを片方ずつ履いて転げながら遊ぶ姉弟、赤ちゃんをあやす母親、庭には万国旗のようにはためく真っ白なおしめ、思わず顔がほころぶ家族の風景が広がっています。

 開局60年の沖縄テレビにも激動の時代を捉えた膨大な映像がありますが、8ミリはプロが撮った映像とはまた違うホームムービーならではの景色や家族を見つめる温かいまなざしが感じられます。

 8ミリ映像の醍醐味は、映っている家族や地域の人々に見てもらうことで、さまざまな発見があること。

 金武町伊芸の海岸で脱穀機を回していた麦わら帽子の男性は故・山城銀盛さんと判明。名うての三線奏者で地域の行事やお祝い事には欠かせない人だったそう。田んぼではなく砂浜で作業していたのは、もみ殻を潮風で飛ばすため。稲刈りは地域挙げての大仕事。映像は、かつての潮風薫る季節の光景だったのです。

 8ミリを通じて人と人が繋がり郷土の記憶がよみがえる。8ミリフィルムを見つけたらぜひご一報を。みなさんの自宅の押し入れには、魅力を秘めた映像が眠っているかもしませんから。
(佐久本浩志、OTVアナウンサー)