<南風>太鼓で島おこし


社会
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 「成人式祝賀会の余興何しよう?」。35年前の渡嘉敷青年会定例会での一言が、慶良間太鼓の始まりだったような気がする。

 当時の成人式は記念式典が役場、祝賀会が青年会と役割が分かれていて司会から裏方、余興まで会員総出で担当していました。

 和太鼓をやろうと考えたのは、自分が高校の体育祭の応援合戦で南大東出身の友人から教わった大東太鼓のインパクトが記憶に残っていたからでした。祝賀会では観客に大好評で本格的に青年会の活動として取り組み始めることとなります。

 当初、楽器(太鼓)は島中に学校から借りた3台しかなく、11人のメンバーで練習するのですが、太鼓がないメンバーは壁打ちや、古タイヤを使いひたすら打ち、血豆や筋肉痛は当たり前のようになっていました。

 曲作りは、全て自分が担当し、渡嘉敷島の風景や生活を和太鼓で表現しようと考え、情景を浮かべながら制作し、第一景「夜明け」、第二景「波・風」、第三景「嵐」、第四景「豊漁」、第五景「落陽」と5曲が完成し、練習にも熱が入りました。

 村にも財政面でバックアップしていただき、10台のエイサー太鼓と特注の大太鼓がそろい、第1回渡嘉敷村祭りがお披露目の場となり大きな評価を受けました。その後は演目も増え沖縄各地の祭りや、芸能イベント、県外でのPR活動など、村外からも多数呼んでいただき活動の幅も広がり、沖縄県より「第1回島興し奨励賞」を受賞することができました。

 新しい島の芸能文化として50年後100年後も存在してほしいと願い続けてきた慶良間太鼓も来年には35周年を迎えます。継承を目的に児童生徒にも授業で太鼓を指導しています。教え子が大人になり一緒に太鼓をたたく。そんな願いがかなう日も、そう遠くないかもしれません。
(新垣徹、渡嘉敷村商工会会長)