<南風>サンマ・デモクラシー


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 復帰前の沖縄なんてぼんやりとしか知らなかった。先輩たちの仕事ぶりを横目で眺めていたら「次回の特集よろしく」とお鉢が回ってきた。

 15年前、戦後復興期の沖縄を様々な切り口から描くニュース特集が組まれた。今でも無謀に思えるが焦った新米記者は米軍統治下の司法をテーマに掲げてしまい、手あたり次第に話を聞いて回る。興味を惹かれたのが「サンマ裁判」だった。

 1966年、琉球の裁判所で係争中の二つの裁判が最高権力者・高等弁務官の命令で米側の裁判所に移される「裁判移送事件」が起きた。その発端が「サンマへの課税はおかしい!」と訴えたサンマ裁判である。

 物品税法を定めた高等弁務官布令第17号。生鮮魚介類の項目を見ると「うなぎ、あゆ、かき、はまぐり…」と続くが確かにサンマの文字はない。瑕疵が認められ一審は原告が勝訴していた。

 このまま判決がでれば不利益とみるやワトソン高等弁務官が裁判を移送させると、司法独立の侵害だと沖縄の裁判官が立ち上がる。38人が連署した異例の抗議文を起草した比嘉正幸元裁判官は、クビも辞さなかったと当時の琉球法曹の覚悟を語ってくれた。

 司法史に残る事件の面白さ。特集を何とか乗り切れたと胸をなで下ろし、当時はそれで満足だった。だが訴えたのは誰なのか? 突き詰めるとサンマ裁判はもっと面白かったのだ。

 「ウシがサンマを訴えた? 魚屋の女将玉城ウシが起こした小さな裁判は、民主主義をかけた大きな闘いに」。沖縄テレビが製作した民教協スペシャル「サンマ・デモクラシー」が今月全国で放送される。

 記録的なサンマの不漁がニュースとなった去年、不思議な縁を感じながら取材に関わった。放送は8日午後1時から。玉城ウシとは? 裁判の顛末は? ぜひ見届けてほしい。
(佐久本浩志、OTVアナウンサー)