<南風>基地跡地の平和利用


社会
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 渡嘉敷島の北側に赤間山がある。その山頂付近に「国立沖縄青少年交流の家」が所在します。

 昭和47年5月15日、沖縄の本土復帰を記念して設置され、当初は文部省管轄の「国立沖縄青年の家」としてスタートしました。実は、この広大な施設の前身はアメリカ軍のミサイル基地でした。返還までは、他の在沖基地同様、周りをフェンスに囲まれて、多くの米軍人が基地の中で生活をしていたのを当時小学生の私も記憶しています。「青年の家」は国の施設ではありますが、開所当時はアメリカ軍の既設の宿舎などを利用して運用をしていました。

 現在は、各種研修棟や体育館、野球場、テニスコート、ボクシング場の他、新築された宿泊棟など、無料で使用できる施設も充実しています。また島の西側にあるトカシクビーチには海洋研修場があります。

 このように、基地が返還され、その跡地に青少年のための社会教育施設が設置されたことは、まさに基地跡地の平和利用そのものです。施設内の敷地には「集団自決跡地」も含まれており、平和教育の場ともなっています。

 文部科学省の管轄から、平成18年に独立行政法人国立青少年教育振興機構の管轄となり、施設の運営もいろいろ厳しくなっています。特に、稼働率の問題が大きく、離島にある施設のため、悪天候による定期船の欠航で団体のキャンセルが発生するなど、他の施設とは異なる悩みもあります。

 「体験の風を起こそう」をキャッチフレーズに施設の職員の皆さんも稼働率アップのため奮闘しています。ミサイル基地の跡地に出来たこの素晴らしい施設が、他の基地返還後のモデルケースになるよう、また、渡嘉敷島の自然豊かな環境の中で青少年の明るい笑顔とともに、実り豊かな社会教育がいつまでも存続できることを切に願う。

(新垣徹、渡嘉敷村商工会会長)