<南風>沖縄バスケの歴史探訪


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 ちょうど2年前、2018年2月25日、安里幸男バスケットボールミュージアムを訪れた。琉球新報電子版に「自宅にバスケ博物館」という見出しで紹介されていた。自宅の電話番号が記事にあったので、思い切って電話をかけてみた。

 見ず知らずの私を伝説の指導者は快く迎え入れた。2階へと続く階段の壁面には北谷高や美来工科などの横断幕が所狭しと貼り付けられている。成人し空いた息子の部屋には、30年以上にわたる指導を記録したノートが100冊に及び、写真、トロフィー、メダルなどが展示されている。

 その一角に「打倒能代工」の書がある。安里氏が教員に本採用になった30歳のとき、最初に赴任した豊見城南の校長に書いてもらい、体育教官室の壁に掲げた。

 当時日本一、圧倒的な強さを誇った秋田・能代工に弱小校が勝てるはずがない、「お前はばかか」と周囲は笑った。1983年から6年間在籍した豊見城南では九州2位、89年に北谷に赴任し県を制し、91年のインターハイでは全国3位になった。そして93年、ついに能代工を捕らえた。日本のトップが集う「能代カップ」で、全勝優勝を成し遂げた。あしかけ10年、事を成すにはそれだけの月日がかかる。

 私は沖縄バスケットボールの歴史の表面をほんの少しだけなぞってきた。これからは深く掘っていく。そのためには上等なスコップが必要で、高性能の電動ドリルもあるといい。この先には数知れぬお宝が必ず待っている。私が本当に手にしたいものは地中奥深くに眠っているはずだ。まだまだ知らないことばかりで、知りたいことだらけ。

 「バスケットボールジャーナリズムを確立し、人々に感動を与える」を事業理念として掲げ、沖縄バスケットボール情報誌アウトナンバーは2018年10月に創刊した。
(金谷康平、沖縄バスケットボール情報誌アウトナンバー編集長)