<南風>イザイホーに思う


社会
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 洗い髪を垂らし「エーファイ、エーファイ」と甲高い声をあげて走る白装束の女性たち。12年に1度午年に行われる久高島の「イザイホー」。後継者不在で1978年を最後に途絶えたが沖縄テレビに残る66年のモノクロ映像からは人知を超越したものを感じる。

 イザイホーで神女になった最後の女性たちが引退する儀式を2008年に取材した。最高霊地・フボー御嶽の外で女性たちの帰りを共に待ったのが記録映画「久高オデッセイ」を手掛ける大重潤一郎監督だった。

 島の暮らしに深く根を下ろす祭祀を12年余り記録した大重監督。うっそうとした森の影にも畏れ多さや神々しさがあるとカメラを向け、病に倒れ半身が麻痺しても電動車いすに乗って活動をやめなかった。

 復活する兆しはないかと勝手な期待を抱き私はイザイホーの時期にあたる15年1月にも島を取材したが、得られるものは無かった。戦後3度、この神事を目の当たりにしたジャーナリストの宮城鷹夫氏は「信仰心から生まれなければ形だけの祭りだ」と指摘。神女を引退した福治洋子さんも「神に対してまねごとは出来ません」と穏やかに語った。

 この年の夏、映画の封切りを待たず大重監督はニライカナイへと旅立ったが、遺作には私の取材が空振りした日に撮影されたシーンがあった。島の若い女性がイザイホーのティルルを口ずさみ神に祈る姿…。「祭りは途絶えているが祭りの命は息づいている。12年間待っていた島の姿を確認した」。病床で吹き込んだ監督自身の言葉で映画は締めくくられた。

 神の島・パワースポットなどと強調され、久高島では立入禁止の場所に人が足を踏み入れるなど問題も起きていると聞く。元はと言えば私も興味本位で島に入り、自然や祭祀の表面をなぞった。そこに畏敬の念はあったであろうか。
(佐久本浩志、OTVアナウンサー)