<南風>正式な「告知」


社会
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 本を放り投げ、私はすぐさま自分の見える範囲(視野)を確かめた。左目を閉じ、右目の視線をまっすぐ保ったまま、指先を目の前でゆっくりと左右、上下に動かしてみた。そして、左目。間違いなかった。私の目はドーナツ状に視野が欠けていた。

 その瞬間、すべてのことが頭の中でつながった。鳥目、動体視力の低下、そして、あのしし座流星群の一件。全部が「網膜色素変性症」できれいに説明できた。

 私は「確認」のために、専門の病院で診察を受けることにした。視力、視野、眼底撮影など一通りの検査が終わり、眼科医と向き合った。彼の口から、網膜色素変性症の可能性が非常に高いと告げられた。断言ではなかったが、私には正式な「告知」だった。

 意外かもしれないが、この「告知」によるショックはなかった。どちらかというと、原因がわかり安心したというのが正直な気持ちだった。幸いバイオを専攻していたため、私は自分の目で起こっていることがよく理解できた。治療法がなく、徐々に悪化していく目と付き合っていくしかないことも、あっさりと受け入れられた。

 とはいえ、困ったことになったとは思った。私は研究者になるために上京したのだ。診断されたのは、まさにその第一歩を踏み出したときだった。このまま大学院を続けてよいのか迷いが生じた。しかし、結局いけるところまではいくと開き直り、続けることにした。そして、目のことは周りに黙っていた。でも、当時の指導教官だけには、自分の状況を正直に話しておかねばならないと思った。

 「大学院は続ける。でも、目が急激に悪くなるようなら、途中で進路変更するかもしれない」と、その意識だけは共有してもらった。教授は一言、「わかった」と静かに答えた。
(島袋勝弥、宇部工業高等専門学校准教授)