<南風>「友情の碑」


社会
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 「土」という一文字が力強く刻まれた石碑は奥武山運動公園にある。石垣と植込みに囲まれた石碑の名は「友情の碑」。1973年5月3日に財団法人日本体育協会によって建立された。実は、この石碑の土台となっている石垣に囲まれた植え込み部分に大切な「友情」が埋め込まれている。

 その年、沖縄では復帰記念沖縄特別国体「若夏国体」が開催された。「強く・明るく・新しく」という大会スローガンのもと、奥武山運動公園を主会場に県内11市町村24会場で全国から約3千人が参加した。石碑建立の日付は、若夏国体の開会式の日なのである。

 時は「友情の碑」建立から15年前の1958年までさかのぼる。復帰前の沖縄から首里高校が第40回全国高校野球選手権(夏の甲子園)大会に沖縄代表として初出場を果たした。試合は残念ながら一回戦で敗退したが、戦後、日本から切り離され米統治下にあった沖縄代表に全国が注目した。さらに試合後に球児たちが持ち帰った甲子園の土が、植物防疫法に触れ那覇港で海に捨てられたことが大きく報じられた。

 それを知った日本航空の乗務員が甲子園球場の小石を拾い集めて寄贈したことは有名な話である。その他に甲子園の土で制作した陶器の皿も球児たちに贈呈された。こうした「土」の話は高校野球の季節や日本復帰に関するエピソードでたびたび紹介されているため多くの人が知っている。

 さて、その続編が「土」と刻まれた「友情の碑」である。若夏国体に参加した各都道府県の選手団が、自由な交流の証として、それぞれの郷土の土を持ち寄り奥武山運動公園の一角に積み上げた。その上に建立したのが「友情の碑」なのである。当時の記録に「土は沖縄と本土を結ぶ友情のあかしとしてやがて美しい花を一面に咲かせるだろう」と書かれている。

(外間一先、県立博物館・美術館主任学芸員)