<南風>二つの国を生きる


社会
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 私が一番心安らぐのは、針と糸を持っている時。わけてもポジャギは、私を無心にさせてくれる。ポジャギとは、朝鮮古来の生活用品で、ものを包んだり、食膳を覆ったりする布である。習い始めて13年になるが、この先生でなければ続けていなかった。

 1945年、終戦間際に19歳で朝鮮から渡日し、以後日本で暮らす。朝鮮での生活よりはるかに長い年月の中で、ふるさとのことはひと時も忘れたことがないという。

 幼い頃にいろんな遊びに興じた楽しい思い出。それと共に、戻らない息子からの手紙を繰り返し眺めていた祖母の姿。夫の帰りを待ちながら、薄暗い灯りのもとで機織りをしていた母の姿。先生の記憶に刻まれたふるさとの風景は、70歳にして始めた人形制作を通して再現されている。

 記憶と共に身体に刻まれた生活様式や風習の中に、ポジャギも含まれる。先生にとってポジャギは伝統手工芸品である前に、身近にあった生活用品だった。ポジャギは、端切れを大切にためておき、つなぎ合わせて一枚の布に仕立て上げる。ささいなもの、形の異なるものを寄せ集めた生活に根差した美を大切にされていた。

 同胞だけでなく、私のような日本人にも朝鮮の伝統文化を伝授されてきた。その先生が亡くなられた。生前は、私の外側に存在する一個人としてあったので、私の中に特別な場所はなかった。亡くなられた今、外に行っても見つけられないので、自分の中に先生を探す。肉体が滅びても魂は生き続けるというのは、生者に宿り、その人を支えながら共に生きていくことだと、ようやくわかる。完結したものを、ただ引き継ぐのではない。だから遺された者たちは、口々に「課題」を与えられたという。

 お別れの会を兼ねた作品展に向けて、針を進める。
(門野里栄子、大学非常勤講師)