<南風>仏教が流行、なぜ


社会
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 中国の歴史、史記、三国志、十八史略を読んでいる。

 当時の中国語は、現在とは別の言葉のようで中国語の先生から、山内さんの古典中国語は、国際通りでは通用しないね、などと言われている。

 それはそうと、中国の歴史が面白い。特に、2世紀から7世紀の頃、後漢末から隋初の時代、その頃の人々は喜怒哀楽と欲望を正直に表現している。正直すぎて赤裸々すぎることが多いが…。

 この時代の国々と人々の存亡は激しく、政治的にも人道的にも倫理、道徳というものを忘れたような狂態の中で19の王国が興亡した。その同じ時期、西域を経て、インドから伝来した仏教が、中国で飛躍的発展を遂げた。中国には、有名な孔子の儒教というものがありながらこれほどまでに流行したのは、社会や時代の要求であろう。

 天才的な仏典翻訳者の鳩摩羅什(クマラジュウ)、インドへ旅した三蔵法師など傑出した名僧を輩出した。仏教は朝鮮の百済を経て、6世紀に日本へ伝来し、多くの留学生が中国へ渡った。聖徳太子にも法華経の解説書があるそうだ。お釈迦(しゃか)様の言葉に、「この世で悟りを開いて自らの幸福を築き、利他のために奉仕する姿を目指すべきである。苦行ではない、煩悩を去ることだ」という教えが、戦乱の時代に一大流行したのは、荒廃した時代に人々の心に生きる希望を与えたからであろう。

 現代は、中国の五胡十六国時代ほどの混乱の時代ではないかもしれない。しかし、核保有国のうち一国だけの核で全地球を滅亡させる力があるという。この時代にこそ、自他の存続と幸福を願う心が必要であり、人類の滅亡を救う平和という言葉が、かってないほどの重要性を以(も)って語られるべき時代である。歴史の先人のようにこの危機を克服しなければならないのではないか。
(山内眞樹、公認会計士)