<南風>えっ、顕微鏡を続けるの?


社会
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 当時、バイオの世界では「一分子観察」という研究が熱かった。これは、生物を作り上げている無数の分子の中から、たった一つだけを顕微鏡で見る、日本発の革新的な技術だった。

 日本から世界の科学を揺るがす結果が続々と報告されていた。皆が一分子研究に熱狂していた。そして、私に与えられた新しい研究課題もまた、一分子観察だった。よい成果を出すには、この流れを逃すわけにはいかない。まあ、学生のうちは仕方ない、目も何とか持ちこたえるだろうと気持ちを持ち直し、私は顕微鏡実験と向き合うことを決めた。

 だが、顕微鏡使いとしてのハンディはあまりにも大きかった。病気の告知を受けたときには、私はすでに重度視覚障がい者になっており、視野欠損率は95%を超えていた。視野が極端に狭いので、日常生活ですらモノ探しに困るようになっていた。だから、顕微鏡をのぞいても、目的のものを見つけるのに時間がかかった。

 こんながっかりなエピソードもあった。ある日、先輩が私の実験を見に来た。実験ができない人で、その日も手持ちぶさたのようだった。

 私は顕微鏡の映像をテレビに映し出し、目的のものを探していた。ところが、その先輩は部屋に入るやいなや、「これじゃない?」とモニターの一角を指した。そこには確かに、私が探していたものがあった。完全に正常な目と自分の目では、ここまで差があるのかと鬱々(うつうつ)たる気持ちになった。「このまま研究を続けて、マジで大丈夫?」と自問自答したものの、もう後戻りはできなかった。

 この時期の私を知る人は、私が部屋にこもって熱心に実験していたと思っていたかもしれない。残念ながら、違う。観察に手間取っていただけなのだ。
(島袋勝弥、宇部工業高等専門学校准教授)