<南風>生きとってよかった


社会
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 3月28日は渡嘉敷村の慰霊碑「白玉之塔」にて毎年慰霊祭が行われます。今から75年前に、いわゆる[集団自決]があった日です。300余の命が消えました

 私が高校生の時、戦争体験の手記や、聞き取りを綴った本が出版されました。1979年に発売された「生きとってよかった~語り継ぐ戦争体験~」(草土文化出版)です。今から40年以上も前の本ですが、その中に当時18歳の私も「祖母から聞いた戦争体験」というタイトルで掲載されました。

 内容は、祖母が私の父を含む3人の子供たちを連れて山中を逃げ回ったこと、祖父と共に一家で集団自決(文中では集団自殺と記載)を試みたが、手榴弾が不発で、意を決して投降したら米軍が優しく対処してくれたことなどです。

 「もし、集団自決で手榴弾が爆発していたら、お父さんはこの世に存在して無かったかもしれないし、○○も生まれて来ることは無かったかも」

 今から十数年前に高校生の長女に話をしました。娘はその言葉に何かを感じたのか、「平和と命」をテーマとした意見発表で校内弁論大会の学校代表となり、那覇市より賞を受けました。75年前の出来事が、私の家族にも大きく影響しているのです。

 今では祖父母、父とも他界してしまい、直接体験を聞く機会は少なくなりましたが、本はずっと残ります。しっかり保管して、子や孫にも文字で伝えたいと思います。

 自分が高校生の時に、祖母から直接伝え聞いた渡嘉敷島での悲惨な戦争体験を、更に娘が伝え聞き平和の尊さ、命の重さを感じてくれた事は、戦争体験者も少なくなった今だからこそ大切です。

 「生きとってよかった」と世界中が思える平和な地球であってほしいものです。
(新垣徹、渡嘉敷村商工会会長)