<南風>石碑に出会う喜び


社会
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 石碑めぐりは楽しい。県内各地に点在する石碑の存在を気に掛け、そして石碑に親しんでほしいと思う。

 ぐるぐる歩き回って探していた石碑に出会う喜びは格別だ。また石碑を偶然見つけた場合には新たな歴史との出会いや発見を楽しんでいる。今回ご紹介する石碑はオリンピック東京大会に関する石碑である。

 1964(昭和39)年に開催したオリンピック東京大会の聖火は同年9月7日、日本全国に先駆け沖縄に到着した。聖火リレーは3日間で沖縄本島を1周した。聖火は2日目に久志村(現名護市)嘉陽区まで到達。同区では盛大な歓迎式典を行った。当時の嘉陽小5、6年生で結成した鼓笛隊で聖火を迎え、地元住民による舞踊なども行われた。「人口約350人の村落に3千人が集まり熱気をはらんだような興奮につつまれていた」と記録がある。

 聖火は翌日に塩屋を経由して恩納や嘉手納、コザを南下して那覇へ戻った。さて聖火が一夜を明かした嘉陽区には「聖火宿泊碑」が建立されている。オリンピックは開催地に体育館や競技場などのスポーツ施設を遺産として残すことが多いが、嘉陽区では聖火の歴史が石碑とともに地域住民の心に受け継がれている。

 さらに聖火を一時点灯した聖火台が石碑の隣にある。高さは台座を含めて約2メートル。この聖火台は、ある1人の人物が「精魂かたむけ」製作した。ヒューム管(いわゆる土管)の上に点火台を設置。その点火台の部分は直径約1メートルのシンメーナービ(大型鍋)を利用して製作した。資金や材料調達などに苦労した時代に創意工夫して作った聖火台は青い海と緑の山々を背景にたたずんでいる。

 時は流れて1966年。東京オリンピック記念として建立した石碑が奥武山公園にある。やや傾いたその石碑には「若人の森」と刻まれている。
(外間一先、県立博物館・美術館主任学芸員)