<南風>「若人の森」


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 「沖縄をみどりに」をスローガンに掲げ、オリンピック記念「若人の森」建設沖縄大会が開催された。時は1966年1月、場所は那覇市の奥武山運動公園であった。参加者は県外から約500人の青少年に加え、県内からも約1500人の高校生たちが出席して盛大な式典が行われた。これを記念して建立したのが石碑「若人の森」である。

 「若人の森」建設はボーイスカウトや日本スポーツ少年団などを中心に文部省(当時)が後援になって「みんなの手で明るい社会、美しい国土を」の考えから出発した。64年の東京オリンピックの際に全国から持ち寄った「ふるさとの木」をオリンピックスタジアムの正面に植樹したことを契機に運動が全国に展開した。

 この運動が沖縄に巡ってきたのが66年だった。東京オリンピック聖火到着の第一歩の地が沖縄だったことやオリンピックの精神と同様「友情のきずなを深める」ことに由来している。さらに戦争で焦土と化した沖縄を「みどり」で埋めることや美化活動を通して青少年の健全育成を図り、復帰前だった沖縄と本土の若者たちの交流を緑化という形で保存しようとしたのである。

 建設大会の式典では、入場パレードや開会宣言についで、聖火の採火式も行われた。ギリシャでの採火式をそのままに、青いガウンをまとって巫女(みこ)に扮(ふん)した15人の女子高校生たちが、競技場内に設置された採火台で太陽光線からトーチに採火。聖火は本土および県代表各1人のランナーに手渡され、グラウンドを1周して聖火台に「友情の火」として点火された。出席した松岡主席や西銘那覇市長らがあいさつした後に、県外から持ち寄った苗木500本の贈呈と植樹が行われた。

 「沖縄をみどりにという願いが植えられた木とともにすくすくと育つことを願っています」という挨拶(あいさつ)文が残っている。
(外間一先、県立博物館・美術館主任学芸員)