<南風>本土・沖縄豆記者交歓会


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 沖縄海洋博覧会が開催された1975年、当時中学3年生だった私は、担任の先生から「徹、沖縄豆記者団に招待があるけど行ってみるか」と言われ、「それって何ですか」と即答。調べてみると沖縄各地から選ばれた中学生が、本土での取材活動を通じて、青少年親善交流を推進する事業であり、私たちは第14次の派遣で、現在も継続しています。

 その頃は海上交通の便も悪く渡嘉敷島から那覇へ出るのも年に何回もない時代に、初の県外、それも東京ということで舞い上がったのを記憶しています。ただ、飛行機ではなく船での移動で、さらに台風の余波でかなり揺れる中、一昼夜かけての船旅でした。いろいろな場所、いろいろな方を取材しましたが、印象に残っているのは総理官邸での官房長官への取材、また後楽園球場で、巨人―阪神戦の前に選手にインタビューできたことが、友達への一番の自慢話になりました。

 44年前の出来事ですが今でも鮮明に記憶しているのが、現在の上皇さまが皇太子殿下の時に軽井沢で、ご一家とお会いできたことです。

 現天皇陛下は同じ昭和35年のお生まれで、親しげにお話していただき、また皇太子殿下の「どなたか、沖縄の三線は弾けないの」に、私は何にも考えずに手を上げて周りの心配をよそに、予定外の三線演奏をしました。後から聞いたら、緻密なタイムスケジュールの面会なので、例外中の例外だということ。事の重大さを分かっていなかったのが良かったかもしれません。

 宿泊は同じ中学生がいる家庭への民泊で、地元の料理や名所なども紹介してくれました。いつしか時がたち、東京で大学生だった私はOBとして、沖縄の豆記者を北方領土の取材で根室まで引率。北方四島の近さに唖(あ)然とし、復帰前の沖縄が浮かんだのが豆記者最後の記憶です。
(新垣徹、渡嘉敷村商工会会長)