<南風>思いを受け継ぐ


社会
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 大正時代を舞台に、主人公・炭治郎が、「鬼」と呼ばれる敵や鬼と化した妹を人間に戻す方法を探すために戦う姿を描く漫画「鬼滅の刃」にハマってしまった。めまぐるしく展開する内容や主人公の成長、個性的な登場人物など魅力満載だ。大正時代というと、わずか15年しかなかったが、その頃の沖縄はどういう状況だっただろうか。当時の出来事に目を向けてみよう。

 大正元年は1912年7月から始まる。同じ年の3月に沖縄県で初めて衆議院議員選挙が行われた。全国から遅れること22年、しかし宮古・八重山は参加していない。大正3年5月には那覇首里間に電車が開通する。木製箱型の路面電車の所要時間は片道30分ほどだった。同年11月には那覇与那原間に沖縄県営鉄道が開通した。いわゆる軽便鉄道だ。与那原で陸揚げした物資を那覇まで輸送する約9キロの鉄道だったが、残念ながら沖縄戦で失った。同4年には那覇、嘉手納、名護をつなぐ国頭街道が開通。同時期に那覇港築港工事が行われ、1500トン級の船3隻が接岸できる港として整備された。交通網が整備されることで、県内外の人や物の流通が活発化した。

 文化面では「沖縄学の父」といわれる伊波普猷が活躍したのがこの時期で、明治44年に『古琉球』を刊行。その後も『校訂おもろさうし』など数々の書物を著し、日本への同化がすすむ沖縄について「早くに日本文化から枝分かれした沖縄は一地方を越える豊かな文化を持つ」と独自性を説明した。大正10年には民俗学者の柳田国男や折口信夫が来沖。大正末期には伊東忠太と鎌倉芳太郎が琉球芸術調査を行い、琉球の建造物や文化芸術の魅力に心を奪われたのであった。

 さて、漫画の主人公・炭治郎たちの言葉を借りると、私たちは沖縄を愛した彼らの遺志を「受け継ぐ」ことを大切にしたい。
(外間一先、県立博物館・美術館主任学芸員)