<南風>決断、顕微鏡と生きる


社会
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 「蛍光顕微鏡もやるか」。これがボスからの次なる指令だった。また、私は頭を抱えた。これも夜空の中から儚(はかな)く光る星を見つけるような実験だったのだ。しかし、今度も顕微鏡には感度抜群のCCDカメラが付いていた。自分の目で直(じか)に見る必要はない、きっとカメラが捉えてくれる、電子顕微鏡のときのようにと、私は蛍光顕微鏡を前に深呼吸し、実験に臨んだ。

 はたして、願いは通じ、真っ暗闇の中で、淡い光の斑点が動く様子を撮影できた。結局、この結果が、私の研究の決め手となった。

 顕微鏡から離れたいと思い、専門まで変えて飛び込んだアメリカでの研究生活だったが、5年近くの歳月を費やしてできあがった論文は、あらゆる顕微鏡映像の盛り合わせになっていた。

 周りの研究仲間からは、「よく1人でこんなにいろいろな顕微鏡を使いこなせるね」と言われたが、もちろん、相手は私の目のことなんか知らない。この頃、私はここまで顕微鏡を操れるなら、むしろ「ビジュアル系研究者」と自称しても悪くないだろうと感じ始めていた。

 6年近くのアメリカ生活に区切りを付け、私は宇部高専に職を得ることができた。しかも、アメリカ時代の研究が評価され、歴史ある学会で若手賞まで頂いた。勢いに乗る私は、研究費も獲得し、一気に研究室の体制を整えた。また、優秀な学生たちも、私の元にやってきた。ただ、今後の研究戦略という点では迷いがあった。何を軸にすべきか。ここで、思い切って新しい顕微鏡法の開発を一つの柱にすることにした。

 物理に疎い私には、斬新な顕微鏡作りは難しい。でも、どんな顕微鏡でも操る器用さがある。なら、今ある顕微鏡にひと工夫を加え、少し「おしゃれな」画像を撮る研究はどうだろう、そう考えたのだ。
(島袋勝弥、宇部工業高等専門学校准教授)