<南風>悔し涙と寂しい涙


社会
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 「ママ、明日朝の6時に起きるね」。久しぶりに登園する息子の言葉。早く起きて大好きな本を読み、アニメを見るそう。気持ちを高めようとしている。医療福祉関係の仕事をしている親の子を優先的に「預かり保育」で受け入れてくださることになった。新型コロナウイルス感染防止のため長らくお休みだった息子。久しぶりに家族以外の人たちと「幼稚園」という社会の中で過ごすことになる。

 5歳なりに緊張と恐怖もあるのだ。翌日、7時半に起きた。6時に起きようと準備していた息子にとってショックだったのだろう。トイレで隠れて悔し泣きをしている。なんとか気持ちを切り替え、幼稚園に着いた。すると今度は「もう少し待って」「ママ、まだ早いよ」。なかなかお部屋に入ろうとしない。苦手なお友達がいる? 先生に緊張する? 考えられる質問をぶつけてみるも、違うらしい。「もしかして寂しいの?」すると抑えていた感情があふれ一気に泣き出した。

 この1カ月自粛生活をしていたが、母の仕事の都合で職場に連れて行った。「これでいいのか」と私も気になりながら仕事に付き合わせた。ずっと私と一緒だった。職場の仲間たちにも遊んでもらい、息子なりにとても楽しく過ごしていた。皆と離れるのも母である私と離れるのもとても寂しかったのだ。私もこの1カ月、とても怖かった。新しい生活スタイルに向き合い、ともに頑張った息子と一緒に涙した。

 朝の「悔し涙」と登園前の「寂しい涙」。悔しいは「自分の目標に近づきたい」という気持ち。寂しいは「つながりたい」という気持ち。すくすくと育っている感情。取り扱いの難しい感情を子どもなりに整理して乗り越えようとしている。

 「ママOK」。深呼吸し一歩ずつお部屋に歩く姿を見送りながら泣きながら出勤する私にもファイト。

(玉城恭子、HaNaCoLi代表取締役)