<南風>「親の背中」が語る時


社会
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 聞き取り調査の場では、いつも思いがけないことに出くわす。大学で心理学を学んでいた頃は「仮説を立て、検証する」という考察方法だった。聞き取りの醍醐味(だいごみ)は、むしろ仮説が裏切られるところにある。

 ある収録ビデオで、反戦地主2世の男性が「小さい頃から親の背中を見て育ってきた」と発言していた。彼は跡取りでもあるので、親から子へと闘争の経験が伝えられてきたのだと思っていた。しかし細かく話を聞いていくと、そうではない。大人になってから「反戦地主」という立場を自ら選び取ったのだとわかる。

 米軍との土地闘争当時4歳だった彼は、親の闘争の姿を目にした経験はわずかである。その後、親から土地闘争の具体的な話を聞かされたことも、ほとんどない。つまり「教え」は不在だった。しかしながら、幼いがゆえに闘争の場に連れて行かれ、そこで米軍ヘリの飛来によって小石が顔にあたる痛い経験をした。後に、この経験が反戦地主になった理由として語られる。また、本土からの支援者が自宅で寝泊まりしていたことを、楽しい思い出として記憶している。

 転機は、父から土地を贈与される時に訪れた。「契約地主」になることもできたが、「反戦地主」を選んだ。「2世」とはいえ、その立場を自ら選び取った自己を築き上げるために、過去にさかのぼって必要な経験がたぐり寄せられる。「親の背中」をずっと見てきたのではなく、そこに今の自分にとっての反戦の意志と継承の意味を見出(いだ)したのだ。だから、きょうだいであっても「親の背中」は別の意味を帯びる。

 「親の背中」は見せるものではなく、見られるものである。子どもも見ていたとわかるのは、ずっと後になってからだろう。「親の背中が語る」スイッチを入れるのは、子ども自身である。
(門野里栄子、大学非常勤講師)