<南風>時代の恩恵と取捨選択


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 数々の幸運もあり、私は目のハンディを補うことができている。

 まず、視覚障害といっても、私の場合は視野障害が主で、中心部がまだ見えている。つまり、見える範囲はとても狭いが、目の中心に入れば、それなりに見える。だから、時間はかかるが、画像をむらなく見渡すことで解釈できる。

 さらに、テクノロジーの進化にも救われた。CCDカメラの性能が桁違いに上がり、人間の目よりも感度が良くなった。そして、パソコンも高速化した。カメラで捉えた映像をモニターごしに見ることが可能になった。こうなれば、あとはコントラストを調整することで、私の目でも画像を見ることができる。そして、最大の支えは、何と言っても学生たちだった。彼らが私の「目」となり、さまざまな画像を撮ってくれる。

 私がすべきことは、顕微鏡の原理を丹念に教え、得られた画像を解釈することだけになった。ある意味、私は目に障害があったため、すぐに自分で実験することを諦めることができた。学生の方が、私よりもはるかに実験が上手だ。だから安心して彼らに任せられる。今になって思えば、これは正しい選択だった。おかげで、研究室の運営に集中できている。

 以上、ある種の開き直りで、私は今でも顕微鏡を使った研究を続けている。

 しかし、私の目は徐々にだが、悪くなっているのも事実だ。「いつまで顕微鏡を続けるの?」と聞かれても、「まだ見えている間はね」としか答えようがない。「見えなくなったらどうするの?」とも聞かれる。「さあ?」と答えをはぐらかす私は、将来に対していろいろと視界不良だ。
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(島袋勝弥、宇部工業高等専門学校准教授)