<南風>道草の先の先


社会
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 「首里城焼失」に“喪失感”はなかった。悲嘆にくれる切実さもまだない。

 本コラムは「生きざまを書いて」と依頼されて始まった。“生きざま”とは、人生に対する考え方、生きる姿勢・態度・ありさまなどを言うようだ。

 「アイ!デェージナトン」、と考えあぐねていた時、“道草”という言葉が浮かんだ。これをキーワードにして、首里城焼失が“生きざま”に重なり繋(つな)がるかと思った。しかし、“繋がり”は見いだせなかった。理由は、「ヤイマ系ウチナンチュ」の家庭では、両親から琉球の文化・歴史を教わる機会がほとんどなかったこと、また、八重山の人間に対する琉球王府・薩摩の“圧政”という歴史的背景があるから?とも俄(にわか)には実感できないし、考えにくい。おそらく最大の理由は、高校野球を続けながら国費医学に合格するには、試験に出題されようもない文化・歴史を学ぶ必要性がなかったから、のように思う。

 ところで、日本人初のユング派分析家の河合隼雄先生が説く“道草”は痛快だ。・道草は楽しい、目的地へ行く途中、その間に味わいがある・無駄なことではない・何かが見えて新しい鉱脈を発見する・年齢は関係ない・人生に味が出る、とのことです。

 流石(さすが)です。医師としての“道草”もそろそろおしまいにして、人生全体を生き生きして広げる新しい“道草”はないか、現在模索中。その道中で「首里城焼失」に向き合えば、良しとしよう。

 そして、首里城は、一切衆生(いっさいしゅじょう)の理想郷である「弥勒世」、「平和を希求する沖縄の彩」を願う人々の思いを込めて生き還(かえ)らされるべきだ。最終回になりました。このような拙文を読んでいただいた読者の皆さま、そして、貴重な紙面を提供してくれた琉球新報社に心より感謝。にぃふぁいゆー。
(原信一郎、心療内科医)