<南風>ドクターとアクター


社会
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 はじめまして、沖縄県内で俳優・演出家をしている当山彰一と申します。まずは私についてです。私の実家は桜坂で祖父當山堅一が開業していた当山医院でした(現在ハイアットリージェンシー那覇)。祖父の弟当山堅二は当山美容形成外科を開業、その下の弟堅三は熊本で医院長をしていました。父、紘一も医師を継ぎ私は医者の家系に育ちました。

 私も医者を継ぐよう育てられたのですが、小学校の絵画課題「将来の夢」で、パイロットの絵を描き父を悲しませました。その後も私は医者を継ぐ気持ちはなく、というか“できらんぬー”だったんですね。高校時代バンドに参加、教育福祉会館でライブを開催。この頃から芸能界に興味が出てきました。

 卒業後PA(ホールなどの音響をする仕事)の専門学校に入学。バイト先で大野剣友会を紹介されそのまま芸能界デビュー。スケバン刑事2で南野陽子さんを羽交い締め、その後スケバン刑事3では浅香唯さんらと共演し順調なスタートを切りました。華々しいデビューでしたが、沖縄に帰郷すると、医者の家系を閉ざしてしまったことへの罪悪感で胸が苦しくなったのを覚えています。しかしルーツを調べると、曽祖父に當山正堅を見つけました。

 戦前、小学校長を歴任し、恩納村村長に就任。村長時代に戦争を迎え終戦後、沖縄諮詢会の文化部部長をしていたことを発見。戦後沖縄の文化発展に尽力していた曽祖父は沖縄の俳優を守り、収容所慰問で荒(すさ)んでいた人々の心を癒やしたのです。私が俳優になったことで落ち込んでいた父に「医者も役者も一字違い、英語もアクターとドクターだよ」と言ったことを思い出しました。曽祖父と私はアクター、祖父と父はドクター、當山家世替わりは隔世遺伝をして私に受け継がれたようです。
(当山彰一、俳優)