<南風>うつけ者、世界9位の研究機関に


社会
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 「お前は、うつけもの(=常識にはずれた愚か者)」とは、実際に祖母からいわれた言葉である。全くその通りで、少年時代はレストランの入り口で友達と大便して逃げたり、小学5年でマルボロのポスターに触発されてたばこを吸ったり、尾崎豊「15の夜」の歌詞よりも1年早い14歳でバイクを盗んで、(無免許で)走って捕まって家庭裁判所にギリギリ送られそうになったりと、騒々しく過ごした。ところが、今は、世界9位の研究機関OISTに副学長待遇で参加している。「なぜ?」と思う方が自然である。

 私のOISTでの取り組みは、沖縄の人々にとっても、人類全体にとっても、素晴らしく価値のあることだと考えている。それを理解してもらうにどうしたものか?と考える中、琉球新報に助言頂き、半生を振り返りながら話していくのが良いとなり、書いたこともない小説のような具合に話を進めていくことにした。

 親の教育方針と私の性格が相入れたことは、生まれてこの方一度もない。父は昭和のエリート官僚の道を歩んだ人で、母とは見合い結婚、母が父を選んだ理由は「公務員はバカをしない限りクビにならないから」ということだった。

 私は、父の人生よりも祖父の人生に憧れた。父方の祖父は、12歳のときに両親を亡くし丁稚(でっち)奉公に出て20歳のときに起業、日本で唯一のホイッスル・メーカー(球技で審判が使う笛)として台湾や韓国に輸出していた。母方の曽祖父も明治時代に起業、絹工場や造船工場を経営した実業家である。

 だから「有名大学を出て有名企業に入って終身雇用」を神聖視している両親とは常に対立した。受験勉強などは当然やる気もおきず、とりあえず受かった亜細亜大学経済学部に進んだ後、人生の転機が訪れる。アメリカ留学である。

(仲津正朗、OIST アントレプレナー・イン・レジデンス副学長待遇)