<南風>留学起点、20代で1000冊読了


社会
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 大学時代の親友である韓国の留学生から「大学に、単位交換できる米国留学プログラムがある」という話を聞いて狂喜した。休学する必要がない。つまり、親に追加で金を出してもらう必要がない。ただでさえ、親の教育方針に従わない性で、金のかかる私立大学に行ったのだから追加で留学費を出してくれとは実に言いづらい。その上で、必死に頼み込んで1997年3月から半年、ワシントン州シアトル郊外にある州立西ワシントン大学に留学できることになった。

 当時のアメリカはインターネット黎明(れいめい)期にあり、いわゆる「ニューエコノミーブーム」の渦中だった。シアトルはシリコンバレーやポートランドほどではないにせよ、同じ西海岸にあることからヒッピー文化の影響もあり自由な空気にあふれていた。「日本とは全てが真逆」。それが私が受けた体感だ。窮屈さが全くない。精神が開放された気分を生まれて初めて味わった。

 留学を起点に学問熱に火がついた。以来30歳になるまで、科学、技術、哲学、歴史小説、偉人自伝、古典、経営指南、ビジネス書など、千冊は読んだと思う。聖書、仏典、論語、コーランも読破した。

 今にして思うが、私の少年時代の騒々しさは、戦後の日本官僚が作り上げた「同調圧」に対する強烈な違和感であった。「多数と異なることは誤り」と言う思考。実はこれが、後ほど触れる「失われた30年」におけるOISTの成功と深く関わっている。が、読者にはもうしばらく私がOISTに来るまでの半生に付き合ってもらいたい。

 帰国後、専攻する経済学の世界にのめり込んだ。そして人生を決める、あるテーマに出合うことになる。「ポスト資本主義社会の実現」である。言い換えれば、「お金の問題」を解くということだ。やがて、これが私の天命となっていく。
(仲津正朗、OIST アントレプレナー・イン・レジデンス副学長待遇)