<南風>夢の続き


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 1980年沖縄に小さな劇場が出来た。国際通り沿いにあるビルの地下、その名は“沖縄ジァンジァン”。壁が黒く塗られていることもあり薄暗い印象だが、ステージが始まると一転。映画、音楽、芝居、朗読、様々な演目が365日見られるそこは、まるでおもちゃ箱の様に見る者を夢中にさせる空間であり、同時に演じる者にとっては、ステージに立つことを夢見る憧れの空間であった。残念ながら2000年に閉館してしまい、しばらくの間沖縄で芝居を行えるのは公共ホールのみとなってしまった。

 私が主宰を務める“劇艶(げきしょく)おとな団”も公共のホールを借用し定期公演を行ってきた。そんなある日、劇団を立ち上げることが夢だった、友人であり現団長がふと私に「自分の夢はかなった。次は君が夢をかなえる番だ!」。突然の問いに驚くもすぐに出たのが「劇場を持ちたい!」であった。イメージを伝えるため那覇市内にある“わが街の小劇場”に連れて行くと、団長(経営者)とその弟(不動産業)は、天井を見上げ広さを割り出し、立地条件から家賃を計算。チケットの料金と席数を調べ、損益分岐点をあっという間に算出し「これならできる」と判断。あっという間に私の夢が現実へと近づいていった。

 その後沖縄県文化振興会に相談、PO(プログラムオフィサー)を紹介され「地域に根付く劇場作りのために、全国の小劇場を視察しては」という提案を受けた。2年かけ北海道から九州の小劇場・アトリエを視察し、17年稽古場をセルフリノベーションで拡張。たくさんの手伝い、そして彼らの軌跡は壁裏にサインとして残し、みんなの思いが詰まった“アトリエ銘苅ベース”が完成。

 「おとなが夢を見、かなえなきゃ、子どもと夢を語れない」。夢がまた一つ、実現した瞬間であった。
(当山彰一、俳優)