<南風>パークゴルフ パート2


社会
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 いざパークゴルフ場を造るとなると財政上の問題、場所選定等かなりの高いハードルが待ち受けていた。私は是が非でも県内他の市町村に先駆けて一番目に造り、国頭村をパークゴルフの沖縄県発祥の地として県内に広めたい強い思いがあったので村長へ提言した。

 「国頭村安田にある沖縄県家畜改良センター内に『ふれあい牧場』の整備が進み、芝とトイレ等が整備されているので県側と交渉してそこを利用させてもらったらどうか」と提言すると大城村長いわく「明男君あなたの提案だからスポーツ振興審議会の会長として県と交渉してくれ」と。

 1997年3月17日私は早速当時の沖縄県家畜改良センター(安田在)の森田所長に丁寧に交渉を持ち掛け活用要請書を手交した。所長も大変好意的ですぐに本庁の理解を取り付けてくれた。4月の人事異動で森田所長の後任に宮城所長が就任すると、さらに動きが加速して沖縄県と国頭村の合同でパークゴルフ場設置委員会を設立することになり私が委員長に就任した。

 「鉄は熱いうちに打て」で私は間髪入れず国際パークゴルフ協会のあるパークゴルフの発祥地である北海道幕別町の視察へ行くことにした。5月27日、比嘉を団長として7人で現地入りすると地元のマスコミが大きく報道してくれた。国際パークゴルフ協会の事務局でパークゴルフ生みの親である前原理事長より丁寧にアドバイスを受け、日本で最初のパークゴルフ場『つつじコース』(手づくり)を視察した。そこは木立の中の公園の一角を活用し、木々の合間を縫ってコースレイアウトがされていた。しかも手づくりだと聞いてますますやる気になり、金がなくてもすぐにでも造れる自信と希望が湧いた。視察を終えて新千歳空港から帰路の機上でコースレイアウト等の工程に一段と夢が膨らんだ。
(比嘉明男、県パークゴルフ協会連合会長 日本郵便沖縄支社長)