<南風>波乱の幕開け


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 「明日、沖縄に戻れないか」。父から切羽詰まった声で電話が入った。大学を卒業した私は、4月から東京の大学へ進学する弟の引っ越しを手伝っていた。

 それから2日後、那覇空港に降り立った私は、その足で父の指示通り、安里にある専門学校へ向かった。受け付けを済ませると、待っていたように担当者が私のところへ来てひと言「これから採用面接を行いますが、履歴書はお持ちでしょうか」。私は困惑してしまった。なぜなら、面接や履歴書の話を聞いていないどころか、面接にふさわしい服装でなかったからだ。

 面接が始まると、3人の面接官がいろいろと質問をしてくるのだが、そもそも私自身、これからどのような仕事をするのかさえ理解していなかった。私には、父の仕事を手伝うために呼ばれて、ここにいるという事実しかなかった。そこで、面接に至るまでの経緯を互いに確認することで、ようやく状況が理解出来た。どうやら私は、公務員ビジネス科の教員として働くことになっているようだ。その後、教育方針や担当する科目についても説明を受けたが、心のモヤモヤは解消されなかった。そのため「頑張りますので、よろしくお願いします」、そんな前向きな言葉は言えなかった。

 理由は分かっていた。教員という仕事の責任の重さを感じ、私の教育や人生の経験では到底、人を教え導く立場は務まらないと考えたからだ。「年齢も差がなく、大学時代はアルバイトに明け暮れていた私が偉そうに指導できるはずはない。私が学生なら、そのような先生に教わりたくないと思う」と面接官に率直に伝えた。「先生が堂々とし、真剣に向き合うことが何よりも大切です。学生の夢を実現させるために一緒にやってみませんか」と言われ、自信がなくても父のメンツがあるので、受け入れるしか道はなかった。
(島袋菜々子、日経教育グループ HRD labo OKINAWA取締役)