<南風>大自然の中で


社会
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 私は、ヤンバルクイナの郷の国頭村安田出身である。当時の安田は道路も整備されてなく、陸の孤島と言われていた。大半は大自然の中で自給自足の生活が中心であった。各家庭では「ショウガチワー」(正月に食べる豚のこと)を飼育していて、私の家では犬も狩猟犬として10匹いた。祖父が狩猟をしていて、4歳の頃から祖父に連れられてイノシシの狩猟に山の中へと1時間近くも歩いて行ったのを記憶している。

 私は前方の「オーラー」(網かごのこと)に乗せられ、後方にはモリやイノシシを解体する道具を入れた「オーラー」をてんびん棒にぶら下げて、肩に担がれて目的地まで行った。そこは水深が20センチほどのとても澄み切ったきれいな川で、水辺も大きく安全な場所であった。

 祖父は担いできた道具を下ろし、10匹いる犬の中で一番賢い「エス」に私を預けて残りの犬を引き連れて山奥へとイノシシ狩りへと出かけて行った。半日かけての狩りでその間私は「エス」と水辺で戯れて遊んだのを覚えている。大人になって考えたら、祖父は一番賢い「エス」に私の子守役をさせたのだと思った。

 半日たって祖父が仕留めたイノシシを担いで犬たちと戻ってきた。すぐに水辺で解体作業が始まった。手慣れたもので、あっという間に解体作業が終わり、肉を細ぎりにして犬たちにごほうびとして分け与えた。犬たちも慣れたもので序列があって順番よく並んでいた。もちろん最初に肉をもらうのは「エス」であった。

 解体した肉を「オーラー」に乗せて、私は犬たちと一緒に徒歩で祖父の後を追いかけるように自宅へと向かった。自宅へ着くと祖父はすぐにイノシシの肉を隣近所へ配っていた。田舎の「ゆいま~る」(共同体意識)の精神が当たり前に日常生活の中で行われていた、懐かしき良き時代であった。
(比嘉明男、県パークゴルフ協会連合会長 日本郵便沖縄支社長)