<南風>2004年1月1日に「天命」


社会
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 勤めていた投資顧問のオーナー社長の肝いりで、入社3年目に入った者は選抜試験に合格すれば、NY支社にトレーニーとして転籍できるプログラムがあった。私は見事、3年目でストレート合格し、2002年秋、NYに移住した。

 オフィスはウォール街のど真ん中。資本主義の中枢である。「9・11」後のニューヨークは騒然としていた。シアトル留学時のアメリカとはまるで雰囲気が違っていた。みなピリピリしていた。中東の人への人種差別も横行していた。アジア人としての私も生まれて初めて人種差別を受けた。

 派遣されたトレーニーは私ともう1人。転籍3カ月後に、現地の金融資格試験に合格し、仕事も何倍もこなした。結果8カ月後に現地法人社長から、内々にNY支社で継続的に働けるOKをもらった。

 NY支社はブラックな就労スタイルもなく、ここから新たな人生を切り開いていこうと考えていた矢先、03年春、本社が経営難に陥り、突然、NY支社の閉鎖が決まった。ナスダックバブル崩壊、9・11、そしてエンロン・ショック、金融危機の連続で、とうとう小さな投資顧問も耐えられなくなったわけだ。私も強制的に東京に帰ってくることになった。戻った後の東京本社は、騒然としていた。

 倒産は時間の問題と判断した私は、東京に戻って間もなく会社を辞め、貯金していた100万円で「この金が尽きるまでに、人生指針を決める」と決心し、自宅にこもる。

 脳みそから血が出るほど考え抜き、「ポスト資本主義」、これに生涯を懸けようと決めた。職業は、政治家、科学者、起業家の三つから選ぼうと決め、憧れを感じていた祖父の人生を思い、起業家になる決心をした。そのときが04年1月1日である。当時、私は27歳。「わが天命、ここに定まれり」、思わず声が出た。
(仲津正朗、OIST アントレプレナー・イン・レジデンス)