<南風>挑戦の基準


社会
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 おそらく誰でも基準のようなものを持っていると思う。何かを始める時、しかもそれがけっこう高いハードルに見える時、「自分にこなせるのか?」と不安になる。でも「いやきっと大丈夫だ、あの時あれができたじゃないか」と自分に言い聞かせて前に進む。そういう「基準」。

 僕の場合は、高校1年のの夏休み、北海道一人旅だ。沖縄が祖国復帰を遂げてまだ間もない年の夏、段ボール箱にキャンプ道具を目いっぱい詰めて、僕はひとり東京へ向かう船に乗った。3日後、東京に着いて列車に乗るための切符を買う。それは初めての経験だった。駅にいる人に教えてもらい、ようやく乗り込んだ電車。緊張の連続。高田馬場の山道具屋でザックを買い、段ボールの荷をその場で移す。新宿で周遊券を買い、その夜、上野から夜行列車で北へ向かった。

 まるで異国のような大都会。たった1日でそこまでやれたんだ。僕は夜間急行の狭いB寝台の上で興奮していた。

 それからの北海道でのひと月はなかなかの経験だった。お金がないので道ばたや公園のベンチでほぼ自炊。夜、駅で寝るのは当たり前。移動はけっきょくヒッチハイクに行き着いた。洗濯と風呂は週に一度のユースホステル。

 終わってみれば面白かったという印象しかないが、間違いなくあれはハードな旅だった。

 あれから何度も思い出す。16歳の自分にあれができたんだ、となると今の自分にこれができないわけはない。人生の転機に当たるたび、自分にそう言い聞かせて前に進んだ。

 40数年前にタイムスリップして、丸刈りの自分に会ってみたい。君のおかげで僕は難儀なことをそれなりにこなせてきたよ。ありがとう。でも生意気なその少年はきっとフンと鼻を鳴らすだけだろう。
(山内肇、オーストラリア在住家庭医)