<南風>テニスと当山家


社会
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 先日、テニスの大坂なおみ選手が、全米大会で優勝し、多くの人に感動を与えた。スポーツ観戦はあまりしない私だが、テニスは好きでつい見てしまう。

 幼少の頃、休日の予定は決まっていた。まず、日が昇らないうちに家を出発。当時、奥武山公園の入り口にあった、ドライブインで朝食を取り、空が少し明るくなると、テニスコートに向かう。そのまま夕方までプレイを楽しむのが休日の過ごし方であった。

 テニスがこれほど身近だったのは、祖父の堅一がテニスの普及に尽力していたからであろう。プレーヤーとしての祖父は、国内や海外で行われていた試合で功績を残し、自宅にはたくさんのトロフィーが飾られていた。特に、1981年に開催された第10回世界医師テニス大会で優勝したことは、祖父の自慢でもあった。

 裏の顔としては、奥武山公園のテニスコート建設のために尽力し、初代の沖縄県軟式庭球連盟の会長を務めた。祖父はすでに亡くなっているが、今でも沖縄県中学校ソフトテニス大会は「当山堅一杯」と呼ばれ、回を重ねている。

 父・紘一も中学からテニスをしていて、数々の大会で優勝している名プレーヤーだったと記憶している。祖父そして父から私へと流れるテニスへの情熱であるが、日々の生活に追われここ数年、私自身全くラケットを握っていない。少し寂しくも感じていたある日、奥武山でテニスを楽しむサークルの記事を目にした。幼い頃にプレーしたあのコートに立っていたのは、祖父の妹、柳元由喜子だった。90歳を過ぎても、テニスを楽しんでいることを聞いていたがその姿は年齢を感じさせず、昔一緒にプレーした日を懐かしく思い出させるものでもあった。

 「年齢であきらめるのではなく、好きなことを続ける」。そんな血も私の中には流れているのだろう。

(当山彰一、俳優)