<南風>指導者として パート1


社会
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 毎日の仕事を終えて母校の高校へ先輩風を吹かせテニスの指導に行くのが楽しみであった。指導よりも後輩と毎日ゲームをして楽しめるのが好きだった。夏休みの合宿も共に行い学生気分に戻った感じで楽しんでいた。高校生の目標は県大会で優勝し、インターハイ出場を果たすことである。

 指導を続けていくうちに、大きな課題に突き当たった。なかなか良い結果が出ないことに「自分の今の指導方法でいいのか」、プレーに対しての技術面とメンタル面、自分が思い浮かべたスキルアップができないジレンマが続いた。「何故か」と日々自問自答が続く。そのうちに本格的な基礎から教えてみたいと思うようになった。部活のメンバーは高校入学以前に中学で経験した人がほとんどである。よって、フォームが固定化していて修正するにもかなりの時間がかかり、短期間では困難であった。

 私に子どもが生まれたときに小学校の恩師に言われた言葉をふと思い出した。「明男君、子育ては小学校が大事で基礎が一番大事だよ」。そのことが大きなヒントになり高校の指導者から小学校での初心者(基礎)からの指導者を目指し故郷の安田へ居を移した。

 安田校はソフトテニスの伝統校で、50年余の歴史がある。安田史誌によると1957年、当時の大城貞三校長(大宜味村出身)のもと、区民総出でグラウンドの整備にかかり、1面のテニスコートを設け、さらにはラケットが不足していて父兄の模合で調達したと記されている。当時の先人たちの思いを後輩が引き継ぎ、これまで数々の栄光を勝ち取ってきている。

 指導方法も歴代OBの先輩から後輩へと、地域と学校が連携を密にしながら脈々と引き継がれてきた伝統校である。生徒数わずか18人のミニ小学校から私の本格的な指導者としての活動が始まった。
(比嘉明男、日本郵便沖縄支社長 県パークゴルフ協会連合会長)