<南風>南極で得たこと


社会
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 生まれ育ったのは南の島沖縄だし、現在住んでいるのも南半球のオーストラリア。たぶん南の方には運命的なかかわりがある。南極観測隊に参加したのもその縁の故だろうか。越冬隊の医療担当として南極に行ったのは、もう30年も前のことだ。

 琉大生のころ、数人の仲間で共同生活をしていた。ある時、立花隆「宇宙からの帰還」を回し読みした僕らは、月に立った宇宙飛行士たちの言葉に圧倒されていた。しばしぼうぜんとした後、これはもう月に行くしかないんじゃないか、という若者特有の無謀かつ真剣な夢を語り合った。

 となるとまずは南極だろう、という妙に現実的な思いが転がり、結果その数年後に僕は南極昭和基地に行くことになる。南極にあったのは、下手するとほんとに死んでしまうぞという、むき出しの自然。と同時にその自然は、完璧な美しさで僕らを圧倒した。

 そこでは人間はなんとも小さい。でもその極寒の地に住環境を作り上げ観測を続けているのもまた人間だ。設営や観測のさまざまな専門家が1年を超えて共に生活するのだが、そこでは予想外の出来事が次々起こった。壊れた車両の部品がない。観測機器がブリザードで飛ばされた。作業工程が行き詰まり、何度も変更を余儀なくされる。越冬中は補充などないのだ。そこにあるものでなんとかしなければ前に進まない。

 試されるのは問題に立ち向かう力、目的を果たす粘り強さ、生き抜いていくための実際的な技術だ。越冬隊員の中にはその力のずばぬけた人が何人もいた。時に途方に暮れつつ、未熟な自分は彼らからたくさんのことを学んだ。それが南極で得た最大のことだ。

 せっかくの南極で、なんとも人間臭い感想だなと言われるかもしれない。でも月に行ったとしてもたぶん同じことを思っただろう。
(山内肇、オーストラリア在住家庭医)