<南風>いつまでも先生


社会
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 去る9月の連休のことだが、10年前の教え子から連絡があった。私が教員として最後に受け持ったクラスの学生だ。在学中は勉強が苦手で、成績はクラスでも下位。それでも、仲間の支えもあってどうにか頑張っていたが、家庭の事情と伸び悩む学力に意欲を失い、残念ながら彼の夢であった公安系の仕事を諦める形で退学した。

 退学後はほとんど連絡を取ることもなかったので、久しぶりの電話に驚きと同時にうれしさが込み上げ、早速会うことになった。実際に会うと、10年の時が一瞬にして縮まり、当時と変わらない感覚を覚えたが、現在は既に結婚をし、子を持つ立派な大人になっていた。また、この10年間で多くの経験を重ねていたが、海外留学で人の命の尊さを強く感じたことをきっかけに、再び学生の頃の夢であった公安系の仕事を目指し、努力の末、基地内で消防官の仕事に就けたと話してくれた。別れ際、「消防官として名刺を作ったから、第一号を先生に」と渡され、感極まった。教員冥利(みょうり)に尽きるとは、まさにこのことだと思う。

 現在でも多くの教え子と付き合いがあり、仕事に関することだけでなく、SNSで近況報告をしたり、新年会や忘年会などのお酒の席に呼ばれたり、人生の節目である結婚披露宴にも招待される。

 卒業して何年もたつが、専門学校の短い在学期間の教員と学生の関係性が続いていて、いまだに先生と呼ばれることに、どこか違和感を覚えてしまう。ひとたび社会に出れば、多くの出会いや経験を通して、一段と成長しているに違いない。しかし、教え子からすると、先生はいつまでたっても先生。埋められない距離感に寂しさを感じつつも、私自身は、教え子の期待に応えられるような人生の先生でいたいとの思いから、今も挑戦し続けている。
(島袋菜々子、日経教育グループ HRD labo OKINAWA取締役)