<南風>人生の転機


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 「やってみたい仕事や希望する部署はないか?」と、上司に面談で聞かれた。当時は、専門学校の教員を経て、企画広報部に配属されてから4年が過ぎ、部署の責任者をしていた。

 企画広報部の業務は、高校訪問や学校説明会の対応、イベントの企画運営、広告制作などを手掛けるため、社外に出ることが多かった。また、高校の先生や生徒、保護者はもとより、他の専門学校や関連企業など、さまざまな立場の人と接する機会にも恵まれた。人脈や業務の視野が広がることが楽しく、教員時代とは違った充実感があった。

 一方、営業数値の重圧に加え、家業を担う責任感から、精神的にも肉体的にも追い込まれていた。しまいには、体に異変が起きていたが、気力で乗り切るしかなかった。(話は面談の続きに戻る)

 「私の人生は、家業という敷かれたレールを走るしかないので、組織として必要とされる部署に配置してください。与えられた環境で精いっぱいやるだけで、夢も希望もありません」と答えた。その言葉を聞いた上司はあきれ返っていた。「夢も希望もない人が、人を導くことはできない。そのような人には誰も付いていこうとは思わない。何かあるだろう? 真剣に自分の将来のことを考えなさい」と語気を強めて言った。

 幼少期から周りの期待を最優先に考えていたため、自分の気持ちは後回しにしてきた。そして、大人になっても自分が何をしたいのかでなく、何をしなければならないのかを考え行動してきた。気が付けば、自分がどうしたいか自覚できなくなっていた。それでも気持ちのどこかで、いつか人生を振り返った時、こんなはずじゃなかったと後悔する予感はしていた。絶対に後悔したくないと強く思った瞬間、口をついて出た言葉は「父の会社から出たい」だった。
(島袋菜々子、日経教育グループ HRD labo OKINAWA取締役)