<南風>ことばの力


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 昔、毎日「今日顔色悪いね?」と声をかけ続けると、その相手はいつの間にか具合が悪くなると聞いたことがある。ことばの持つ力が、人に及ぼす影響は大きい。

 稽古後の「ダメ出し」は悪いところを指摘されるわけで、褒められることはめったにない。だから、この時間は判決を待つ囚人の心持ちになる。しかし、「ダメ出し」という言葉がなくなった瞬間、気持ちは晴れやかまでとはいかないものの、軽くなった。

 演出家に「普通にやって」と言われたり、若手が言われたりする現場に出くわすと閉口してしまう。「私は普通でないから此処(ここ)にいるのだ」と呟(つぶや)く。普通とはなんだ? どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。辞書によるとこうだ。では、前者の「ダメ出し」を守ると、どこにでもあるような、ありふれたものであるようにやって、となる。そんな芝居は、面白いのか。

 この普通という言葉の使われ方に違和感を持っていたある日。谷口真由美さんの講演会を聴きに行った。そこで、差別構造の中に、この「普通」という言葉が都合の良いように使われている、という話を聞いた。普通という言葉は便利なので簡単に使うが、それは思考することを安易にやめ、全てをこの普通でまとめているというわけだ。深くうなずいてしまった。私も、普通という言葉を使わないわけではないが、口をついて出たとき、思考することをやめていないか、説明する言葉はないのか、と自問するようになった。

 俳優とは言葉を扱う仕事であるから、ことばの持つ力を理解する必要がある。俳優や生徒たちとミーティングする際、相手が今何を感じどう表現したいのかを見極め、どこにでもあるありふれた芝居、ではないものを共に作りたい。
(当山彰一、俳優)