<南風>多様性の中で生きる


社会
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 多様性のある社会を定義するのはなかなか難しい。

 先日、九州大学の学生に向けてオンラインでの講義をした。講義といっても1回だけのもので、まあ言ってみれば講演みたいなものだ。担当の准教授からは「世界が仕事場」というタイトルに沿った内容で、オーストラリアで家庭医として働くまでの道のりを話してもらえればというリクエスト。

 いろいろ考えた。生まれ育った沖縄、南極越冬の話、そしてオーストラリアに移住してからの20数年。でも、そういう縦糸に対して何か横糸になるようなものがないだろうか。

 思いついたのは「多様性」というキーワード。

 沖縄はその歴史・文化伝統・言語において、日本本土とかなり異なる。多様という点で群を抜いている。

 そして南極越冬隊。36人の男だけの1年間の生活だったが、これは一見すると多様性からもっとも離れたところにあるように思う。だが実は、さまざまなバックグラウンドを持つまったく異なる専門家集団という意味では、かなり異質で多様な集団なのだ。

 オーストラリアに関しては、これはもう多文化多民族国家として名だたるわけだから間違いがない。

 そして家庭医。多種多様な人たちのるつぼのような仕事環境。

 縦糸と横糸を紡ぎながらの1時間半はあっと言う間に過ぎた。僕は最後に「多様性のある社会とは何だろう」という問いを投げかけた。それぞれの学生が考えた答えをついさっき受け取った。それらを総合するとこういうことだろうか。

 「その人自身であるということが、その人が生きていくことの妨げにならない社会」

 海外留学生の1人が「自由」というキーワードを使った。誰もの自由が保障される社会。うん、それはいい社会だと思う。

(山内肇、オーストラリア在住家庭医)