<南風>伊部岳実弾演習阻止闘争


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 50年前の1970年12月21日に米海兵隊から琉球政府林務課に国頭村安田エリアでの実弾射撃演習の通告があった。12月30日、米海兵隊から31日(大みそか)の射撃決行の通告が国頭村長宛て出され、それを受けて安田区民は緊急の区民総会を開催し、区民挙げて阻止行動をすることを決定。

 大詰めの31日、午前5時のサイレンの音とともに飛び起きた区民と同志・仲間たちは、公民館に集結。第1陣の中堅の男子は着弾地点の伊部岳に向けて行動を開始した。第2陣の年配者、婦女子、小中学生約150人は発射地点のハシマタ山に向かって出発。海兵隊との小競り合いで1人重傷、4人逮捕、基地周辺は険悪な空気に包まれた。このため海兵隊は演習を断念、午前11時すぎに持ち込んだ砲弾をヘリで持ち帰った。同日、ウイルソン第3海兵隊司令官及び米民政府公安局が演習中止を正式に発表した(「安田史誌」より)。

 演習を断念させたのは区民の強い結束力であり、子供から大人までが一致団結をして、村民も一緒になり体を張って阻止行動をしたためである。その行動により豊かな自然が守られ、世界に類を見ない希少動植物の生息地として世界各国より注目を浴び、ヤンバルクイナの保護活動や世界自然遺産登録地としても注目されている。

 近年においては、人口減少に歯止めをかけようと安田区としてリゾート誘致委員会を設置し、私は委員長として多くの企業にリゾート誘致の働きかけを行った。その時の条件として、自然を守るべき高いハードルを課した。大手ゼネコンを含む県内外から大手企業が名乗りを挙げたが、安田区の出した条件をクリアできる企業は皆無だった。しかしながら結果的には世界に誇れる素晴らしい自然を残せることになり、安田区の将来展望へ大きな布石になった。

(比嘉明男、日本郵便沖縄支社長 県パークゴルフ協会連合会長)