<南風>「戻る道」


社会
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 茅打ちバンタの入り口に、ひっそりと建つ記念碑がある。これは曽祖父、當山正堅が「戻る道」を開削した功績をたたえ建てられた頌徳(しょうとく)碑である。「戻る道」とは何か。笹森儀助の文献「南島探験」によると、「数丈ノ鉤ヲ下ゲ、之ニ縁リ一人ヅツ僅カニ登ルコトヲ得、若シ下ル人アル時ハ、上下ノ一人必ズ戻ラザルヲ得ズ、故ニ戻ル道」と書かれている。つまり、交通の難所で道らしい道のない崖地帯を通る際、途中で人に会うと、一人は戻らなくてはいけなかった、という道のことである。

 辺戸尋常小学校の校長に赴任した正堅は、就学率の低さがその貧しさによるものであることを知り、茅打ちバンタ付近の隆起石灰岩が裂けた部分を開削。このことにより、辺戸上原への人と牛馬の行き来が盛んになり、田畑が広がり、発展を遂げることができたそうである。

 当時、地元の人が詠んだ琉歌に、「原ぬ降り登い、あん苦りさぁむぬ、道あきてぃたぼり、我御主がなし」(畑に通う道の行き来は、死ぬほどに苦しいものだ。早く安心して通れる道を開いてください我が王よ)。これに答えるように、正堅の琉歌が頌徳碑の横に刻まれている。「むどる道あきて、ゆがふ世に向かて、御栄ゆみそり、子孫までん」(戻る道は切り開かれた、豊かな世の中に向かい、子や孫の代まで栄えてほしい)と。「戻る道」のことは小学4年生の社会科郷土資料に掲載されてもいた。

 親戚にあたる、川平朝申さんは、戯曲「戻る道」を當山正堅傳の中で発表している。この戯曲が上演された時の写真が家にあるが、西武門劇場で、玉城節子さんが出演されていた。

 頌徳碑を訪れるたびに感じることは、地元の方が手入れをしてくださっているということだ。いつの日か宜名真でこの芝居を上演し、感謝を伝えたい。

(当山彰一、俳優)