<南風>當山正堅という人


社会
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 先日、TVで沖縄自由民権運動の父、謝花昇の功績を伝える再現番組を見た。見ながら、ある人の言葉を思い出した。「あなたの曽祖父の功績は、愛楽園の創設と、戻る道の開削、そして謝花昇を世に知らせたことですよ」

 愛楽園と、戻る道のことはよく知っていたが、謝花を世に知らせたことは知らなかった。謝花と當山正堅のつながりが気になり、早速電話をしてみた。電話の向こうから、聞き取りやすいハリのある良い声が返ってきた。声の主は、沖縄で戦後初めてラジオ放送を通して県民に語りかけた、川平朝清さんである。

 朝清叔父は「正堅さんは、東風平小学校校長をしている頃、当時の政権下で闇に葬り去られていた、謝花さんの功績を見つけ、県民のためにこれだけ尽くした彼を表彰すべきだと声を上げた人ですよ」と教えてくれた。「謝花さんは、現在の東京大学に在籍中、私の父とも交流がありました。川平家とも縁のある方です」ということも教えてくれた。

 正堅のことを調べていると、もう一つすごいことを発見した。アメリカ自然史博物館に「セイケンコレクション」なるものがあるということだ。沖縄の文物112点を1946年寄贈したとのことだ。このことについての詳細は、琉球新報に2006年連載された高安藤さんの「米国の沖縄コレクション 収蔵品と移動の背景」に詳しく書かれているので、ご覧いただきたい。

 沖縄の戦中戦後の歴史に登場し、より良い沖縄を目指した先人たち、彼らの思い描く沖縄になっているのだろうか。この頃先人たちの功績を知ることのできるドラマや舞台が数多く出てきている。これも芝居ができる仕事の一つだと思う。私も文化教育の一端を担うものとして、後世に語り継いでいこう。
(当山彰一、俳優)